ホテル専門学生のブログ

~楽しい楽しい~

人の学習において欠かせないこと

まず、あなたは一人でやるべきだ。決してスクールに行ってはならない。弟子入りのいらない。それは愚かなことだ。

 

判断する主体は「あなたでなければならない」どんなに愚かなことでも、考えて動くというサイクルを他人に譲り渡してしまったらあなたに一秒一秒の幸福も成長もない。

 

試行錯誤が人の学道だ。ピアノを弾きたいならまっすぐにピアノを弾きなさい。どんな練習をするのか、ピアノとどんなかかわり方をしたいのかも自分で決めるべきだ。

 

料理も格闘技も、みんな道場や教室に行きたがるが、それでは未来がない。どんなにセンスがなくても自分で全部決めなさい。それが人の学ぶみちだから。

 

本や映像や実際にやってる人を参考にするのはいい。でも教室や師匠はだめだ。

大切なのは「すべての場面で自分で判断しているか?」だ。それが人が学んでいく際の条件だからだ。幸福、自信、心の平安の条件でもある。

 

他人に弟子入りしている人にろくな人はいない。自分は誰のでしかばかり語る人間になる。師匠がいかにすごいかばかり語るようになる。ピアノとまっすぐに対話をせずに師匠の「言葉」「エピソード」で頭っがいっぱいになるのだ。これは馬鹿でおろかだ。

 

あなたが何かの高み到達して、誰かが弟子入りを申し込んできたらこう言いなさい。

「私の言葉から学ぶのではなくてピアノ自身から学びなさい。あなたの感性との対話大切にしなさい。過去の作品から学びなさい。自然から学びなさい。私も、誰かの言葉から学んだのではなくて、そうやって学んできましたし、偉大な人はみんなそうです。それでは行きなさい。」と

 

そして、教育界では、できなかったら何度も繰り返せ、と言われるがこれは間違っている。ある一つの問題に固執してはだめだ。そんなのはその分野の0パーセントにすぎない。

 

次にいくんだ。その分野をさまよいながら身に着けていくんだ。僕たちが日本語を学んでいったと同じように、ユーチューブの使い多を学んでいったのと同じように。。一曲だけに固執してはだめだ。いろんなジャンル、年代、楽器に手を伸ばしなさい。

 

一つの問題を完璧に解けるようにしようとするよりもよりも多様な問題解法に触れていることのほうが大事だ。

数学だけをやっている人は数学はできるようにならない。音楽だけをやっている人に音楽がわかるはずがないのだ。歴史だけを読んでる人に歴史はわかることは永遠にない。

絵だけをかいてる人に素晴らしい絵が描けるわけがない。

 

高校数学で公差数列があっただろう?あの足されていく値が小さくなっていくとき、無限回足していってもその値は無限にはならない。ある一定の値に収束する。一つのことしかやらなくなるとだんだん吸収できなくなるのだ。学びに関してはいろんな分野に手を伸ばした方が正解なのだ。

 

経済に触れなさい。経営に触れなさい。歴史に触れなさい。文学に触れなさい。芸術に触れなさい。現時点で地球上に存在するあらゆる楽器に触れてみなさい。化学・物理に触れなさい。工学に触れなさい。数学に触れなさい。歌を作りなさい。絵をかきなさい。メッセージ性を込めた作品を作りなさい。美しいオブジェクトを作りなさい。料理をしなさい。くそまずい料理をたくさん作ってみなさい。世界中の食べ物を口にしなさい。自然の絶景にぶったまげなさい。世界中の素晴らしいにおいと臭いにおいをかぎなさい。川があったら入りなさい。その水を飲んでみなさい。たくさんのスポーツに手を出しなさい。極める必要なんてない。やってみなさい。ビックしなさい。世界中の人と、あらゆる立場の人と話しなさい。人の考えは地球に存在する景色みたいなものだ。あなたにとってありきたりなものもあるし、圧倒されるもの、怖いもの、いろいろある。それはグラデーションだ。いろんな物質を混ぜてみなさい。機械を分解して別の機会とくっつけてみなさい。全く使えない愚かな発明をたくさんしてみなさい。物を壊してみなさい。物を作ってみなさい。